災害ボランティア@宮城 (3)

4/6水曜日は、少々の野次馬根性もあって、より被害が大きいといわれていた石巻へ。仙台駅前からボランティア用のバスが出ており、それに乗り込んで朝から現地へ向かう。開通したばかりの仙台東部道路を通って北へ向うが、盛土の上にある東部道路から左右を見おろすと、右側(海沿い)はくすんだ色の地面が拡がり、津波の被害を受けているのが見て取れた。後で聞いたところだと、東部道路の盛土が津波を止める役割をしたそうだ。

石巻でも山側の方は仙台市中心部と同じで被害はほとんどない。しかし海沿いに進むほど道路わきにはヘドロと泥につかった家財道具がうずたかく積み上げられ、どの家も片づけの真っ最中といった様。ボランティアセンターになっている石巻専修大の構内には、色々な県外ナンバーの車がたくさん停まり、ボランティアの人たちのテントが芝生の上にカラフルに並んでいた。隣の敷地の運動公園には、自衛隊のトラックが列をなし、その横には深緑のテントが並ぶ。さらに隣には全国から来た消防自動車とテントが並んでいた。

仙台市内からの約80人を乗せたバスは、そのまま被害を受けた地区まで進み、全員バスを降ろされるとすぐに依頼主の家へ派遣された。登録順序の都合で自分が小グループのリーダーを任命されたのだが、混乱しているからなのか単純に要領が悪いのか(多分両方)、明確な指示がないままとりあえず行ってよ、という感じでちょっと困った。恐らくボランティアを統括する人たちのノリの違いなのだろうが、宮城野区のシステマチックなやり方と比較してみると、なかなか興味深い。

最初のお宅は、既に家の中の泥出しは大体終わっており、大物の家電製品の搬出と、家の周りの泥かき。昼食の時、同じグループのボランティアの人達と話す。4人が仙台市内在住とのことだが、1人はオール電化、他はガスが既に復旧しているということで、ガス未復旧で風呂に自由に入れていないのは自分だけだった。東京電力管内ではオール電化にした人は失敗かと言われていたが、実際地震の被害を受けた地域では電気よりもガスの方が来るのが遅く、状況によるのでどちらがいいとは言えない。家の周りの泥をかき出し、昼食後すぐに作業は終了。

1軒目の作業を終えてから一旦ボランティアの集合場所へ戻る。途中、道具を運んでいたらしい軽トラックが我々を呼びとめて、荷台に乗せて集合場所まで連れて行ってくれた。集合場所には数人の近所に住む人が作業依頼に来ており、戻ったなり次のお宅へ向う。小柄で上品そうなおばあさんについていこうとすると、ボランティアの取りまとめ役の人が、「あのおばあさんの家はもう取り壊しが決まっているので、そのつもりで作業してください」と耳打ちをしてきた。その地域では、倒壊している建物はほとんどないものの、もともと古い家は復旧の方が大変とみなして取り壊すこともあるようだ。おばあさんの家は、一見被害はひどくないように見えたが、押し入れの中の衣装ケースにはなみなみと水がたまり、冷蔵庫のドアを開けると真っ黒いヘドロが流れ出すという、悲惨な状況。ずっとおじいさんとすごしてきた家で静かに暮らすはずだったのに、津波が家を使い物にならないものにしてしまったのだ。作業を終えて戻る我々に手を振るおばあさんはとても小さく見えた。

その後、近所の道路の泥かきやごみ捨てを時間いっぱいまでやり、道具を洗ってバスに乗り込む。上着の替えを持ってこなかったので、ヘドロ臭いかっぱを着たままだ。出発間際、現地に常駐しているボランティアの方がこういうことを言っていた。

「ここでは毎日100人以上のボランティアを受け入れているが、たくさんのおうちが被害にあっていて、いくら人出があっても足りない。皆さんが戻られたら、家族、親戚、お友達、みんなにここの状況を伝えてほしい。そして来られる人にはぜひ来ていただくよう伝えてほしい。」

石巻市の自分が行った地区だけでも、100人以上のボランティアを毎日受け入れているそうだが、1日に対応できるのは20件程度。人手を必要としているところは、たくさんある。地震直後こそ、ボランティアは足手まといになるだけだということだったが、ある程度時間が経って受け入れの準備ができてからは、ためらわずに協力しに行くべきだと思う。女性や年配の方も結構多かったが、みんなそれぞれにできることをやって貢献することができるのだから。

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