災害ボランティア@宮城 (1)

正月前後から仕事が強烈に忙しく、年末年始の帰省もキャンセル、土日もなく働いていたので、その代わりとして休みをもらい、4/4月曜日から帰省を兼ねて仙台周辺で災害復旧のお手伝いをしに行った。活動の様子をメモしておく。できれば写真を添えておきたいところだが、ボランティアセンターに「被災地での写真撮影はご遠慮ください」とあったので、基本的には写真撮影はしていない。

月曜日は、夜行バスで東京から着いたなり実家へ向かい、一休みしてから宮城野区のボランティアセンター(宮城野体育館)へ。実家があるのも宮城野区だが、実家は全く被害なし、一方で海沿いの地区は津波をかぶって亡くなった方も多いというところである。とりあえず行きやすいところから始めてみようと思ったというわけ。

ボランティアセンターでは胴長、長靴、スコップ、一輪車、手袋、マスクなどの道具はすべて貸し出してもらえるので、正直手ぶらでも参加できる。震災後3週間とはいえ、この辺りの物資の豊富さは東北の物流の中心だからなのだろうか。

作業に割り当てられたのは海沿いの地域にある農家のお宅。庭には大きながれきの山と、仮設のハウスが。ハウスは後で聞いてみたところ、海から流されてきたものでそのお宅のものではないとのこと。その家から海側はほとんど何もなく、荒れ果てた田んぼに転々と自動車が放置されている光景に明るい日が当って、のどかなような、残酷なような風景が広がっている。

家の中から水浸しの畳を運び出し、水で膨れ上がったタンスの引き出しをこじ開けて中身を出してタンスを外へ出し、さらに床に積もった泥をスコップで書き出す作業。広い家なので7人がかりでも容易に進まず、台所と居間の泥をかき出すだけで1日が終わる。家の中のあらゆる物が、ヘドロと海砂と海岸沿いに生えていた松の木の葉で覆われ、いくらやっても終わらないように見えた作業も、何とか居間と台所の床が見える所まで片づける。7人がかりで1日をかけて、たったこれだけだ。

上下とも登山用のゴアテックスのカッパ、ゴム長靴、ゴム手袋で臨むつもりが、カッパの下を忘れてしまい、登山用の化繊ズボンで作業した。泥まみれの畳や衣服を抱えて運ぶうちに、ズボンは泥だらけになり、洗濯してもうまく落ちなかった。やはり上下ともカッパでなくては厳しい。

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