飯豊連峰縦走 足の松尾根で考えたこと

意図的に本文からは外して書いたのだが、4日目に杁差岳に登る間にすれ違ったピッケルを持ったおじさんに関係して事件があった。

足の松尾根からの下山途中、道端に座ってかなり息を切らしているおじさんがいた。ピッケルを持っていたので、杁差に登る途中ですれ違った人と分かったが、かなりつらそうに見えた。一度はそのまま追い抜いたのだが、やはり気になって戻った方がいいのではという話になり、引き返しておじさんに声をかける。水が切れていたので飲料水を分けたところ、麓の奥胎内ヒュッテに奥さんがいるので、下山が遅れると伝えてほしいとのこと。言伝を約束するとともに、一部の荷物を預かって、一旦はそこで別れた。

しかし、下れば下るほどおじさんのことが気になる。この急坂で、バテバテのあのおじさんがまともに歩けるのだろうか? 特に途中の岩場はかなり切り立っている所もあり、慎重な歩行が求められる。途中、すれ違った人におじさんがいるかどうか確認してもらうように要請すべきではなかったか? あるいは水を分けてやるようにお願いするべきではなかったか? また、重いだろうと思って荷物を少し預かってきたのだが、その中にはカッパの上着も含まれており、これが猛烈に気になった。晴れているとはいえ、カッパを手放させてしまったのは重大な間違いではなかったか? 電話が通じるところですぐにヘリを呼ぶべきだろうか?

おじさんのことを気にしながらも、帰りを急ぐ必要もあって下山してしまった。奥胎内ヒュッテのロビーには、途中のおじさんの奥さんが不安そうに待っていた。無事であることを伝えるとともに、預かった荷物を手渡し、念のためヒュッテの従業員の人にも状況を伝えておいた。

風呂に入って弁当を食べても、まだおじさんは下山してこない。かなり気になったがそれ以上待つとその日のうちに帰れなくなるということで、タクシーでヒュッテを後にした。

翌日になって、ニュースを確認してもおじさんのことは報道されていない。邪魔かとは思いつつもヒュッテに確認してみたところ、やはりおじさんは途中で滑落したそうで、我々がヒュッテを出た後に県警のヘリが出動して救助されたそうだ。幸いなことに命に係るようなことはなかったそうだが、脱水症状がひどかったとのこと。

大事はなかったとのことで胸をなでおろしたが、下山しながら考えたことを一つでも実行できていたら、もっとスムーズに下山してもらうなり、早く救助してもらうなりできたのではないか?と考えると、まだまだ勉強が足りないということを痛感した。山行の回数を重ね、自分の安全を確保するために必要なことはできるようになってきたと思っているが、他の登山者を気づかうこともできるようにならねば、一人前とは言えないとも感じた。もちろん登山は自己責任の世界だが、人の助けが必要な人に適切なことをできるようになるには、経験が必要だ。

またその一方で、(今回のおじさんが悪いとは言わないが)中高年登山者の遭難の原因の一つを見たような気がする。自分の体力にあった山を選び、自分の体力にあった計画で山に挑むならいいのだが、衰えつつある体力を過信して無理な計画で登って事故を起こしてしまっては、楽しい登山も台無しだ。自分の体力を過信するという危険性は、別に中高年に限ったことではないが、実際のところ若いうちは何とかなってしまうことも多い。しかし年を重ねるごとにバッファは小さくなっていき、過信の度合とバッファの大きさが逆転した時に事故になる。

そんなわけで、登山としてとても楽しかったことは言うまでもないが、最後の最後に登山の心得を考える機会も得られて、色んな意味で勉強になった山行だった。

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